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KYとは言われたくない 同調圧力に従うのも嫌

KYとは言われたくない 同調圧力に従うのも嫌

KYが流行語大賞に選ばれたのは、2007年の事です。
流行語対象に選ばれた所で、多くの言葉は数年のうちに消えていきます。
選ばれた時点でも、特定の関心がある人だけが、共有しているだけ、といった事も珍しくありません。
そんな中で、もう10年以上たつのに、KY、空気読めない、という言葉は今の時代にも生きているようです。

空気読めないよね、と言われて、良い気持がする人はいないように思います。

鈍感、と言われた時と似たような感じだとは思うのですが、鈍感の方がまだ、つまらない事に翻弄されないようなニュアンスで使われたり、そこそこ好意的な感じも含んでいます。

空気読めない、と言われるのは、何か人とつながっていくのに欠けている物があるような言われ方。

空気読めなくて何が悪い、と思ってはみるものの、
聞き流すには、重いものがあるように思えます。

空気は読めた方が良い?

空気を読める、とは、場の雰囲気や状況を察知して、それにマッチした言動がとれる事を言うようです。

言葉に上がってこない人の気持ちはあるもので、これがわからないと、人間関係に差し障りがでる事は確かにあります。

ダイジョブ、ダイジョブ、と言う人が、辛そうな表情をしていたら、大多数の人が、その人が大丈夫な状態ではない事をくみ取ります。

最初は、自虐ネタで笑いを取っていた人が、嫌な表情になってきたら、ふれてはいけない部分に触れてしまったと、話を打ち切る、といった配慮はあった方が良いでしょう。

一対一でのコミュニケーションでは、言葉にならない気持ちを汲み取って、そこに配慮していく事で、初めて信頼関係が築ける、といった事はあると思います。

ただ、これが「場」の空気、という事でしたら、ちょっと違ってくるようにも思えます。

「場」
集団が相手だと、相手の方が絶対の強者。
要は、長い物に巻かれる、同調圧力に従う、といった事を良しとするか、といった話が絡んでくるのです。

「場」の空気は、全体の空気ではあるけれど、内心、そこに流される事を良しとしない人もいる、といった事もあります。

多数派、マジョリティーである事と、正しい事は一致しているとは言えません。

ただ、それでも、空気は読めるに越した事はない、と思います。

趣味の集まりから、職場、国家といった単位でも、そこに流れている空理。
どちらの方に行こうとしているか、といった事は、読み解ける方が良い。

空気を読めない、と個人を相手のコミュニケーションで使うとしたら、(あまり個人相手の時は使わないようですが)それは、相手の気持ちに配慮する為。
空気を読めない事で、配慮できない事で、相手を不用意に傷つけてしまうといった懸念がある為です。

相手が、「場」である時は、むしろ、自分を守る為、と考えた方が良さそうです。
下手に空気を読めないまま発言をすると袋叩きに会いかねない。異論、反論があるならなおの事、充分に戦略を立ててのぞまなければなりません。

それならば、できるだけ影に隠れて流されるままになっておこう、と思うのも一つの戦略です。それもありだと思います。

「空気」「同調圧力」に従いたくない

空気は読めるに越した事はない、と書きましたが、それは、空気に従った方が良い、という事と同義ではありません。

むしろ、場の空気に無条件に追随したくない時こそ、空気を読む事が必要になります。

「敵を知り、己をしれば100戦危うからず」
闇雲に反論したり、場の流れを無視して自分の思いをぶつけても、人は着いて来ず、結局は場からはじき出されるような事が起こってきます。

流れはどうなっているのか?
流れを変える事ができるとしたら、実際に有効な発言や行動はどんなものなのか?

大河の流れを、土嚢一つで変える事はできないにしても、どこに土嚢を積めば良いのかは見えてくるようなイメージです。

空気を読むを読めるようになる為に

空気は従うにしろ、従わないにしろ読めた方が良いとしたら、どうしたら、そんのスキルが身につくのだろう、と思う方もいらっしゃる事と思います。

特に周囲に気を使っているつもりなのに、KYと言われた経験があるような方は、そこに関心がいくのではないでしょうか?

私の考えるKYになりがちな人の傾向は、真逆の二つあるように思います。

一つは、その場に対して、思い入れが強い人。そこを良くして行こう、みたいな意識が高い人です。役割として、リーダーを振られてそこに忠実である場合も含みます。

スポーツ部のコーチが、試合に勝たせる事ばかりに意識が行くと、部員の疲労や不満を拾いにくくなります。
コーチとか、管理職とか、はっきり役割がある場合は、役割が作る空気もあるので、それが、その他の人が作る空気にまさって場が回っていくのだけど、他の部員やスタッフには、空気が読めないと見られている、といった事はおこりがちです。

そんな人は、役割を降りた視点を時々意識してみる。役割は役割であるのですから、振られた役割を捨てるわけにはいきません。空気以上に大切な物のあるのですから、そこには堂々を振る舞う事も必要です。

それでも、部下の不満を把握している管理者や、メンバーの疲労を見抜けるリーダーの方が、信頼されて人がついてくる事は想像できると思います。
そこに従う事はできなくても、把握しておく事は大切な事です。

もう一つは、その場が嫌でたまらない人。
部活やサークルにしても、仕事にしても、父母会や管理組合などにしての嫌々所属していて、嫌な気持ちがむき出しになっている。
こんな人は、その場に愛着がある人からも、自分も嫌だけど何とかそこを回して行こうとする人からも嫌がられます。

去る事ができる場であれば、去った方が良いかもしれません。

去る事ができないようでしたら、自分の姿勢を決める事です。
アウトローで通していくと腹を括るなら、KYといった言葉に振り回されない事。私はここを好きになるつもりも、ここの流れに従うつもりもありません。
対価をいただくようであれば、その分の事はやります。といった姿勢です。

ただ、それでは、本当はこの場をこう持っていきたい、といった気持ちがあっても、伝わらない事は覚悟しておかなければなりません。

今はその場が好きでありけれど、なんらかの影響力を持ちたいのであれば、やはりその場の人になるように務める事です。自分がそこに属している事、自分もここの人間なのだ、という事を意識する事です。
好きになろう、と頑張らなくても良いので、望むと望まないとにかかわらずここの場の人間なのだと意識しながら、振る舞っていく。
その場を良くしようとして物を言う時に、外から批判しているような言い方をしていないか意識するだけでも、大分違います。

私自身、同調圧力、という物には、とても抵抗があった方なので、そこに従った方が良いというつもりは毛頭ありません。

ただ、その分、空気が読めない(読もうとしない)ではじき出されかけた事は何度もあります。
まだ、KYという言葉もなかった20代のころの話ですが、それはそれで辛い思いをしてきました。

本当の意味で、同調圧力に屈しないためにも、空気を読んだうえで、進退を決めるのは、大切なことなのです

「空気」や「同調圧力」に関しては、演出家の鴻上尚史さんが、「『空気』を読んでも従わない」などに、わかりやすく書いておられます。是非、読んでみてください。
あえて書評ではなく、私の視点から書いてみました。

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