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人に同情できない やさしい気持になれない そんな自分が嫌い 怖い

人に同情できない やさしい気持になれない そんな自分が嫌い 怖い

看護師・心理カウンセラーの渡辺由紀子と言います。

人に同情できない。
そんな自分が嫌、好きになれないと言うお話を聞くことがあります。

看護や介護など対人援助職の方にも多いようです。

頭ではかわいそうなことだと言う事は理解できるし、丁寧に接することもできるのだけれども、本当に同情する気持ちが動いているかというとそうでもない

自分に責任があるように思えるときには自業自得自己責任と言う言葉が浮かぶし、そうでない時は運が悪かったね、私はそういう目に会わないで済んで良かったといった気持ちが動く。

周りの人が一緒に泣いたりしているとなんだか嘘臭く見えたりする一方で、自分に大切なものが欠けているのではないかといった気持ちで不安になる。

こんな方は、本当に人の痛みのわからない薄情な人なのでしょうか?

まず人の痛みが本当にわからない人は人の痛みがわかっていないのではないかという疑いを持つ事がありません。
人に指摘されたにしても、そんな自分が嫌だと言う気持ちは働きません。

人に同情できないことにこだわりが生じていると言う段階で、あなたの中には人並みもしくはそれ以上の優しさがあるのだということをまず申し上げておきたいと思います

それではなぜ人に同情することができないのでしょうか

よくある可能性は自分がそれ以上辛い思いをしてきたと言う思いです。
辛い思いは、意識に上がらず、気づいていない事が多いです。

これは状況の大変さ指しているのではありません。
自分の深い所で何かに傷ついてきたといった事です。

虐待された人に比べれば親の期待が重かったなどといった事は
口にするにも当たらないように思います。
DVの夫を持つ人から見れば、子育てに協力を得られないなんて大した事ではないでしょう。

それを知っているので自分の中の不満や辛さは、なかった事にしてしまう。
人に話すこと事はおろか、時々疼く傷に、そんな事で痛がる何てと叱りつけている。

自分がそれでも自分が傷ついているそんな時には人が大変な状況にあってもとても同情する事はできません。

私だって辛いんだ、私だって傷ついているんだ、そんなことが意識に上ってくる方はまだ健康です。
災害に遭われたような話を聞いた時も、そっちも大変だろうけど私だって私の辛さを抱えて生きているんだよということを意識にあげることができます。

それが出来れば、同情できない自分を責めないですみます。

自分の辛さも自覚していないと、心の辛さだけを比べるとしたら自分の方が辛いかもしれないから相手のことを気の毒と思えないと言うことを意識することができません。

ふとした瞬間に周りがその事態に同情していることに気づいて、同情を感じていない自分が何かしら欠けているように思ってしまう事になります。
うっかり、そんな事を大変がるなんてと呟こうものなら、人の痛みがわからない人と指摘されたりします。

そんな時は人に同情できない人と言うレッテルを貼られたことや、自分に貼ってしまった薄情な人間と言うレッテルに再度傷ついていってしまいます。

まず人に同情を感じにくい自分に気づいたら、自分にはもっと辛い思いをしてきた経験があるのではないか、と振り返ってみるのが良いのではないでしょうか?

だいぶ前の話になりますが、私は自然災害で観光地のホテルにキャンセルが相次いだようなニュースを聞いても同情できなかった時期があります。
その時は自覚していなかったのですが自分の仕事の辛さに比べれば、観光と言う仕事で生活を立てているのはすごく恵まれた状況に映っていた。それだけ仕事が辛かったのだと思います。

自分の仕事に一定の納得を持つようになったり、好きな仕事をさせてもらうような状態になって、やっと華やかに見える仕事も大変な面がある。

ましてや災害なので仕事が成り立ったなくなるのはどんなに大変なことか、と言う事まで思いを巡らすことができるようになりました

こんな事は思いやりを持とうとしたりしてもなかなか難しいことだと思います。

むしろ自分の中にある傷つきを癒していくといった方法の方が現実的です。。

他人に同情できない自分を責めると余計こじれていきます大変だったねあなたは苦労し
たねぇ傷ついた子と自分に言ってやると自分の悲しみや傷つきが癒えていきます。

人間でなくても哺乳類であれば仲間の傷はなめてやるといいます。
人への同情は本能的に備わっているものなので、あなたにないはずは無いのです。

それが感じられないとしたら自分がそれだけ傷ついている苦しんできたと言うことなのですから、そんな自分を決して責めてはいけません。

頑張って人に優しく接するとか、良い行いをするのが、意味がないわけではありません。周りが、優しくて良い人だと言ってくれれば、自分を貶める気持ちも少し楽になります。

ただ優しく振舞っているけど、本当は優しく思いを持てていない自分とのギャップを感じて、余計辛くなる事もありますから、最善の方法とも言えない所があります
最善の方法はやはり、人同情できない、やさしい気持になれない自分にも、自分がやさしくする事だと思います。

身内を亡くされた方や、災害に合われた方には人が心を寄せます。
その状況を見て、私にはそんな気持を向けてくれる人さえいない。
私だって、充分辛いのに。

同情はされたいわけではない。
だけど、同情さえされないのも辛い。

せめて自分くらい
わかるよ
辛いね
と言ってあげてください。

最初は違和感があるかもしれませんが、それでも言葉にしてみる。

テレビに出てくる被災者に、あなたも大変だろうけど、私だって大変。
あなただって大変だろうけど、あなたには応援してくれる人がいる。
私は一人。
どっちが辛いかわからないね
と話かけてみる。

そんな事をやっているとふと、
私も辛いけど、この人だって本当に辛いのだ、という事が腑に落ちてきます。

人に同情できる人が、深い所で人の痛みがわかるとも言えません。
自分に余裕があるから、人に同情できるという事だってあります。

本当に辛い時に、一番嫌なのは、憐れまれる事だったりします。

自分が辛い思いをしてきたからこそ、わかる痛みもあるのです。

そんな事を考えると、人に同情できない やさしい気持になれない という所をしっかり受け止めて、消化していくのも大事な事のように思えてこないでしょうか。

一見別の事のようですが、怒りを感じないというのも、
似たようなプロセスでおこってきます。
合わせて、お読みください。

何を言われても怒らない 怒りを感じない 怒りという感情がないのは異常か

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