子どもの幸せ 親の満足 一致するとは限らない
- 2020.10.09
- 親子の関係
看護師・心理カウンセラーの渡辺由紀子といいます。
子どもの幸せをを願わない親はいないよ、
これも、あなたの幸せを願っての事だよ。
親に、そう言われて育った方、
子どもにそんな言葉を投げかけて育てた方は、
決して珍しくないと思います。
そして、その思いにも嘘はないと思うのです。
それでも、親に気持もお金も充分にかけてもらて育ち、
社会的に成功している人の中にも、
言うに言えない親への不満がある。
毒親だの、アダルトチルドレンなどといって、
親をののしるのも違うと思うのだけど、
何か自分が大切にされてこなかったような思いがある。
といった方は、珍しくありません。
その為に、カウンセリングにこられる方もおられるのですから、
これはこれで、一つのテーマです。
今日はそんなお話しをしてみたいと思います。
親子で望む方向が一致していれば幸い
親の方が、ピアノのレッスンに熱心で
対してやりたくもないレッスンを送り迎えつきでやらされた。
進学校に行く事がすべてのような言い方をされた。
その分、やりたいと言えば、高額な塾や家庭教師にいくらでも出してくれた。
おかげで自分の青春時代は台無しだ、という人がいる一方で
おかげでここまでやってこれた。
という方もたくさんいらしゃいます。
何が違うのか?
という問いに対する答えはシンプルで、
子ども自身が望んでいた成功の姿と、
親の期待が一致したか否か、に
つきるような気がします。
親が、子どもの適性や願いを優先して、
そこを尊重したか。
たまたま一致したか。
子どもの適性などを見抜く力に長けていたか。
そのあたりは、
ある意味、どうでも良い。
だから、親の思いが先行して、
恨まれるのではないか、と深読みしすぎないで、
ちょっとでも興味を示したものは、とりあえずやらせてみるのも
良いように思います。
子どもに提示するものは、
どうしても親が関心があったものになりますから、
そこから始まるのは自然な事です。
ただ、ここからが大切。
プロ野球選手の血を引いていれば、
並の子どもより、運動神経が良い事は多いでしょう。
少年野球ではエースで、甲子園まで行けるかもしれない。
それでも、プロとしては通用しないだろうと子どもが悩み始める。
傷つくかもしれないが、
やれる所までやってみるか、
早めに進路を切り替えるか。
そんな時に、子どもに幸せは子どもが決めるもの。
挑戦する事に喜びを感じる子どももいれば、
一流になれないのが見えるなら、
違う道を選びたい子どももいるでしょう。
野球があんなに好きだったじゃない、といって
一押ししたがるのも、
こちらの道の方が、安全にほどほどの所に行けると
早くから一般企業への就職を強要するのも、
子どもの気持とずれてくる。
プロの演奏家になりたかった親が、
子どものころから、子どもに音楽家としての教育を施す。
音楽大学までいった子どもが、
自分にはプロになるまでの資質はない、とわかってくる。
いままでかけてきた時間やお金を思えば、
もう一頑張りして欲しいと思う気持もよくわかります。
自分が人生をかけてやりたかった事を
子どもの望んでいるとみるのは、ある意味自然な事です。
それでも、一呼吸おいて、
子どもの気持を受け止める。
どうしたいか、を問う事も大切ですが、
何故なのか、まで聴いてやれるとなお良いように思います。
今やっている事が、難しくてしんどい、という事と、
才能に限界を感じている、では、
対処のしかた、アドバイスもかわってくるからです。
スポーツや演奏家になる事や、
医師、弁護士になる事などは、特殊な世界の事に聞こえるかもしれませんが、
習い事を続けていくか、高校をどう選ぶかといった事も
同じ事だと思います。
子どもの犠牲にならない事も大切
子どもの人生は子どものもの。
選択権は物心がつくにつれて、
子どもに返してやるのが本来の姿です
ただ、一方で
親の人生も親自身のものです。
親が子どもの犠牲にならない。
端的に言えば、親が望まない子どもの進路に、
過剰に投資をしない事も大切だと思います。
ダブルワークをして、学費やレッスン料を払う事も、
子どもの願いと一致していれば、
恩着せがましい思いにはならないと思います。
それでも、親が頑張りすぎと思える事もあるのですが、
親にとって、それが喜びなら、
傍からあれこれ言うのは控えておこうと思います。
それでおも、もし、
子どもが望んでいるからといって
そこまでしてやらなければならないのだろうか?
といった思いがよぎるならば、
そこは正直であった方が良いと思います。
あなたが望んだ事なのだから、
自分でお金を捻出しなさい。
そんな言葉で伝えるのが最良であるかはわかりませんが、
姿勢としてはそれで良いと思います。
本当に能力がある人材を社会は放っておかない。
親が言われるがままにお金を出してくれなかったから、
自分は大成できなかった、というのは言い訳にすぎません。
オリンピックに出られなくても、
国際コンクールに入賞できなくても、
悔し泣きしながらも、親子で
やるだけやったよね、と苦笑いできる。
そんな気持を共有できるなら、
社会的に言う成功に手が届かなくても
どちらかが犠牲をはらった事にはならないでしょう
犠牲を払わない、は
大切なkeywordだと思います。
選択には責任がついてくる
学齢にも達しない子どもに食事を提供しないのは、
ネグレクトと非難されるのは当然かもしれません。
それでも、高校を卒業したような子どもが、
家に帰って食事ができていないと不機嫌になるのは、
どんなものかと思います。
親に、子どもの人生を思い通りにする権利はありません。
同じように子どもにも、
自分の選んだ人生には責任が付いてきます。
親はその責任を教える事も、
大切な仕事だと思います。
スポンサーになってもらうなら、
きちんとしたプレゼンが必要です。
そこは要求するのも子どもの為です。
ある意味、理解できていても、
しっかり語ってもらう方が良いと思います。
お金を出した事に、結果を要求されるもの、
当然の事です
親に強制されたから、
こちらの道にしか進めなかった、と言って良いのは、
せいぜい10代まで。
子どもの方もそこは踏まえておく方が良いと思います。
子どもが望む所と、親が願う所がどうしても一致しない。
そんな方は、他人であるカウンセラーを交えて
話をしてみると、違う展開になるかもしれません。
親子ペア、親の側、子どもの側、いずれのカウンセリングにも対応できます。
ただ、カウンセリングを受ける方と、
カウンセリング料金を払う方が一致している事が基本です。
学齢期の子どもであれば、
カウンセリングの目標が親子で一致している事か、
親に対しても子どもの守秘義務を守る事を
承知していただかなければなりません。
難しいようでしたら、
親として子どもとどう向き合うかを
ご相談いただく事が良いと思います。
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