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別れたいが別れられない 親子 共依存の甘い罠 身近な共依存を卒業する

別れたいが別れられない 親子 共依存の甘い罠 身近な共依存を卒業する

子育て中の方や、介護を要する方を身内に持つ方から、本当は自分の為に生きたいんだけど、それもできなくて、と言われる事があります。

お金もですが、まず生活の大半を育児や介護に使っている時は自分の時間がありません。

そんな時に自分の為に生きたいと願うのは最もな事だと思います。

しかし、いざ子供が巣立ったり、親が逝ってしまうと抜け殻のようになってしまって、虚しいという話もよく聞きます。

人のために生きるのも楽しい側面があります。その人が頼ってくれたり、援助を喜んで受け入れて感謝してくれたりするのは、喜びにもなります。

心理を少し学ぶと、共依存などという言葉も学んで、頼られる事に頼るのは良くないとか、自分に軸で生きなければという姿勢を良しとするようになったりします。

かといって、頼る事や甘える事ができない事も良いとは思えません。

良い意味で頼りあうとはどんな事かを、考えてみたいと思います。

病的な共依存

実際の場面では、共依存と健康な相互依存に線引きは結構難しいものです。

それでも、明らかに病的な共依存と言われる状態があります。
代表は、依存症の支援者と言われるような状態です。

酒を飲まないように懇願しながら、酒を買いに走る。ギャンブル狂の彼氏の借金の後始末をしてまわる。

私がいなくては、この人はダメなの、という思いが支えです。

だから、下手にしっかりしてもらっても困るのです。

別れる事は、自分の支えを無くす事なので、本人が望んでいません。

断酒やギャンブルをやめる事も根底の所では望んでいるかどうかわからないといった状態です。

こんな話を聴くと、共依存は自分とは全く無縁のもののように感じる方が多いと思います。

それでも、日常的にも共依存状態はよくみられるものです。

共依存の大きな弊害

社会的に、共依存が問題とされるのは依存させる本人の問題だけではなく依存してしまう相手、依存者の病態も悪化させてしまうからです。

後始末をしてくれる人、たとえ会社の金を使い込んでも黙って弁済してくれる人がいたならばギャンブル依存を止めるのは難しいことは、心理の専門家でなくても充分推測できます。

とことん困窮する、精神的にサポートしてくれるものもないような状態を経験する事によってしか、新しいステージに踏みだすのは難しいだろうと理屈では理解できる。
それなのに、今回始末をしてやればマイナスからではないところから頑張っていってくれるのではないか、といった幻想から逃れられないといったケースはしばしば見られます。親の場合も、配偶者の場合もあります。

ほとんどの場合、依存症の支援者が支援しているのは、依存症そのものです。
依存症を抜け出す事ではありません。

周囲の人からは、他人事だとわかるのに、依存者を支援する人にとっては、そこを自分の問題ととらえてしまい解決に走る。

これは依存症を支える共依存の状態にある者、支援者が依存者との間に境界線を引くことが難しいためだといわれています。

本当に依存者をサポートし依存症を卒業させていく為には、まず依存症の本人から必要とされる(依存される)ことで自分を肯定するパターンを脱出していく必要があります。

しかし、もともと愛情に渇望するような状態で大人になってきたような場合には、たとえ相手にだけ好都合な依存であってもないよりはるかにマシなのです。

家族会なので同じ立場の人と悩みを分かち合うことや、セラピストに得られなかった良い親の代わりになってもらって、自分の愛情を満たしてもらうといったことは共依存を抜け出す助けになります。

それでも、実際は難しいのは、ご本人がそれを本当に望む事が難しいからです。

それだけ、頼られる事には魅力があります。

母子関係にもある共依存

それでは、日常的に頼りあう事はどうなのでしょう。

依存のない夫婦関係はないように思います。
職場で協力しあう事も依存と紙一重とも言えます。

頼りあう事も必要な事とも言えます。
共依存とは分けて、相互依存という言葉が使われる事もあります。

それでは、会社に行く娘にお弁当を作ってもたせる親はどうなのでしょう。
保育園はかわいそうとお弁当を作って孫のおくりむかえをしている人もいます。

そして、それを当てにしている子供がいる。
当てにされる事が嬉しくてしかたがない親がいる。

これも、立派な共依存です。

だからといって、一括りに悪い事という事もできないように思います。

頼られる方が喜びを感じているし、頼る方が取り立てて不健康な依存をしているようにも思えません。
そこで流れているのは、暖かい親子関係、幸せな日常です。

しかし、それでもそれだけのことであっても、子供だけが生きがい、子供が結婚して家を出て行くような状況になったら自分がどうなるかわからないと思っているようであれば病的な状態に足がかかっているようにも思われます。

たとえ、ふとしたつぶやき程度でも、あなたがお嫁に行ってしまったらお母さんは抜け殻になりそう、みたいな事を言ってしまうと子供はそれに捕らわれて結婚を躊躇する。
40歳を超えてから、その時の自分を思い出して親を怨むという構図は珍しくありません。

しかし一方で、日本の伝統的な考えの中には自分を犠牲にして人のために尽くすことが吉とされてきました。

親が子供のために尽くすこと妻が夫のために尽くすことが社会的に承認されています。

またその逆に親や配偶者特に女性である母親や妻が自分が中心に人生を考えていくことが吉とされていません。

そういう意味ではたとえ病的な要素があるにしても、献身的な親や妻であった方が相手に対して貢献していると言う満足を得られる得ると同時に、社会的な承認も受けることができる。

これも、生きやすい生き方です。
周囲が否定する事はできません。

拘束する親の責任にしないで、依存している当事者が好都合な部分に甘んじないという事も大切な事です。
本来なら自立する事に、罪悪感を感じる必要はないのです。

日常的な共依存を卒業する為に

病的な状態では無い。
若干そういう傾向は自覚しているけれども、自分は健康な状態にあるということを自負される方でしたら、共依存から脱出する事はご自身で取り組んでいただけると思います。

まずは依存してくる相手の都合より、自分のやりたいことを少し優先してみることからです。
子供預けて遊びに行きたいと娘が言っている。
孫は可愛いし、娘が機嫌よく出かけていてちょっとした手土産を買って帰ってくる状態は幸せです。
いつもいつも断る必要はありませんが、ちょっと疲れたと思う時や、自分だって友達との予定を入れたいと思う気持ちがあるのでしたら、ときにはそれを優先してやるのです。

娘が少し落胆して不機嫌になることに、大きく反応するようでしたら、依存されることを喜びすぎている自分を少し客観的に見てみるのが良いと思います。

近しい関係であればあるほど、相手との利害が交錯します。
自分の返答が相手の意に染まっないと言った事は当然に起こってきます。
それに対して常に片方だけが機嫌をとる側に回ることが良いとは思えません。
本当にこの時間をあけて協力してほしいと願うのでしたら頼る方が、事情を説明して頭を下げるのが、社会のルールではないでしょうか。
そこをあまり逸脱しない方が良さそうに思います。

少し他人行儀な社会のルールを身近な関係に持ち込む。

寂しいように思われるかもしれませんが、共依存を卒業していくシンプルで確実な方法です。

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