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理解するって難しい けど 理解者でありたい

理解するって難しい けど 理解者でありたい

看護師・心理カウンセラーの渡辺由紀子と言います。

もの事を理解する難しさはいろいろです。
学校で学ぶ事の理解もあれば、
仕事上の指示もあります。

日常的なレベルでは困らなった事が、
学ぶにつれて解らなくなる、
といった事も起きてきます。

心とか、コミュニケーションにも
そんな側面があります。

人を理解したいとあがいてみて、
所詮、すべて理解するのは無理だと納得したころ、
何となく人を受け止められるようになってきた。

自分の学びや、
心を学ぶ仲間をみていると、
そんなプロセスをたどっていくように思います。

気持ちを理解する難しさ

学問として心理学を学んで、
カウンセラーになっていく人もいます。

それでも市中のカウンセラーの多くは、
自分の問題を解決、解消しようと心理療法を学んで来た人です。

自分を理解して欲しい、という渇望を
自分の事として知っています。
その分、人を理解しようという所にも真剣で、
心の仕組みについても熱心に勉強しています。

それはそれで大切な事なのですが、
実際は理解する事は容易ではありません。
不可能といっても良いかもしれません。

同じ状況でも人は同じ気持ちではありません。

高齢の親を看取った人が安堵感を口にすれば、
怒りを感じる人も、
共通の思いを感じて安堵する人もいます。

長い介護経験と、急に親を失った人では、
受け止め方に違いが出てきます。
親との関係性もあれば、
命をどう考えるか、といった基準もあります。

下手に深い所でわかろうとしないで、
お悔みの決まり文句にしておくのは、
人が育んできた知恵といっても良いかもしれません。

所が、それですまない場合も出てきます。

これはカウンセリングだけではありません。

親しい友達だったり、
パートナーだったりが、
わかって欲しいと訴える事もあるからです。

思春期の子供が、親へ
何もわかってくれない
わかろうともしてくれない、
と訴える事があります。

親の目からみたら、
勝手な事を言っている、と思う事もあります。

それでも、理解したい、
最後に同意するかどうかは別にしても、
気持ちは一旦受け止めよう、という姿勢は大切だと思います。

気持ちへの理解に近づく方法

理解できた、と言えないまでも、
人の気もちに近づく方法はあります。

基本的な姿勢は、傾聴。
相手の語る事をそのまま聴いていくような聴き方です。

リズムを合わせる。
繰り返しや、要約を入れるなど技術的な事もありますが、
大切な事は中途半端に自分の考えで解釈したり、
答えを出してやろうとしないで話をしてもらう事です。

傾聴の効用は、相手が自分の言葉で語る事で、
こちらの理解が進む事が一点。

もう一点は、
相手が理解してもらったような気持ちになる、
という事です。

理解してもいないのに、
理解してもらったと思われるはどんなものか、
と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。

それでも、それはそれで意味があるのです。

理解してもらった、
もっと理解してもらいたい、と語る事で、
聴いている側の理解も進みますし、
ご本人が自分の奥にある気持ちに気づいていくからです。

言葉を聴く事と同時に忘れてはならないのは、
非言語の部分に目や耳を傾ける事です。

サイレンヴォイスは良くできたドラマです。
行動心理捜査官 楯岡絵麻がマイクロジェスチャーを読むように、
人の表情を読む事は、
ある意味、天才性をもった一部のカウンセラーにしかできません。

それでも、腕が良いと言われる人は、
一貫して非言語をとらえる事に長けています。

私は修行中ですが、
それでも、言葉と声の調子の違和感などは
随分捉えられるようになりました。|「「

心を学びに行くと、
状況に関心を持たない方が良いと教える所もあります。
状況を延々と語らせるよりは、
その時感じた事が大切だという考えです。

私もそんな考えの元で学んでいた時期もありますが、
惨事(災害や事故など)のカウンセリングを学んで、
状況に丁寧に耳を傾ける事の大切さを認識しました。

相手が話たがっている時、というのが前提ですが、
身内がなくなった、家が流された、といった重い話こそ、
大変でしたね、辛かったですね、で流していかない。
状況を聴いて初めて出てくる、大変でしたね、がある。
共感する為には、そこを割愛してはならないと教えられました。

心のベースは健康だけど、
状況が辛い方。
通常のストレスにも耐えられない
脆弱な心をもった方。
持って生まれた病気ではないけれど、
慢性的なストレスで病的になっている方

心理療法の対象もさまざまですし、
対応のしかたもそれぞれ違ってくるように思います。

理解が良い結果を生むとは限らない

人を理解しようとする事や、
相手に理解してもらえたと思ってもらえる事は、
一定大切な事です。

それがなければ、
話が始まらない。

ラポール(信頼関係)の最初の一歩です。

それでも、理解しても良い方に進まない事が
実際は沢山あります。

死にたい気持ちに、
死にたいくらい辛いのですね、と応じる事は意味があります。

死にたいくらい辛い気持ちを緩和する方法に、
耳を傾けてもらうとっかかりにはなるからです。

あなたが離れていくなら死んでやる。
生活保護が受けられないなら・・
給付金がすぐにおりないなら・・

あなたが家を出ていくなら、何の為に育てたかわからない。
あなたが、あんな人と一緒になるなら、
お母さんは死んだ方がマシ。

理解を求める脅しは日常にいくらでもあります。

言う側には、言う側の辛さがある事が、
第三者の目にはわかる事もあります。

お気持はわかりますが、と言いながら応じない、というのが、
定石の対応とは言えると思います。

それでも、そもそも相手が求めているのは、
気持ちをわかってくれる事ではなく、
自分に賛同して行動してくれる所なのです。

そんな時は、そもそも理解を示さない。
あなたのそんな言い方は、
自分の首を絞めるだけだ、といった対応もあって良いでしょう。

ただ、杓子定規な対応で、
衝動的に自殺する、とか、
当てつけのような行動で事故死する、といった事もありうるのです。

もう少し優しい目線を意識するなら、
そんな誰も味方になってくれない人に、
カウンセラー、セラピストくらい味方でいなければ、と思います。

心を学び初めの頃は、
きちんと傾聴できれば、
人は正解を見出して生きていけるような幻想がありましたが、
それは本当に幻想である事が腑に落ちてくる昨今です。

それでも、生きていくが辛い中で、
心の同伴者を必要としている方もおられる事だと思い、
私はここに居ようと思っています。

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