一人暮らし 独身 年をとったら 病気になったら 困ること
- 2019.01.07
- 一人で生きる
看護師心理カウンセラーの渡辺由紀子といいます.
今回は心の問題をちょっと置いて、単身や一人暮らしの方が歳を取ったり病気になったりしたとき何が困るか、備えておけることがあるのかといったことを考えてみたいと思います。
独身という言葉の方がなじみがあると思うので、独身という言葉を使ってみましたが、単身(一人で暮らしている人)は独身とはかぎりません。
単身一人暮らしと言うと、自分は家族がいるから直接関係がないと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが家族は非常に流動的なものです。
若い世帯で子育てに翻弄されている時はこの生活がずっと続くような気がしています。
しかし子供はやがて巣立って行きます。連れ合いもやがてどちらかが先に行き残されたものは1人になります。
生涯未婚の方、死別、離別の方を含めると、半数以上の方が、一人で年をとっていくのではないでしょうか。
子供世帯と同居という方もおられると思いますので、この割合はまた調べてみたいと思いますが、この問題は消して独身を通してきた人だけの問題では無いという事は申し上げておきたいと思います。
むしろ1人の生活を通してきた方はそれなりにひとりでいることに耐える力がついているかもしれません。
具合が悪くてもじっと1人で寝ていれば回復する時が来る。自分が世話をしなければならない子供や年寄りがいないだけまだ楽なのだ、と自分を納得させて回復を待つことができたりします。
今まで何かあれば家族の手を借りることができた人ほど、1人の状況へのギャップを感じることが多いのかもしれません。
独居で困る事
一人で年をとっていくにあたって、困る事はいくつか考えられます。
1つは入院等に必要な保証人などを頼みづらいことです。
子供がいればたとえ疎遠になっていても、血縁者の方が頼みやすいのではないでしょうか。
親や子供がいない。いたにしても極めて関係が悪いと言った場合は、兄弟や従兄弟、姪や甥といったところにお願いすることになると思います。
これだけ書いてみるだけでも私自身が少し親族との関わりをもう少し密にしておいた方が良いのではないかといったことに思いが至ります。
普段から良い交流が持てていればそれほど難しいことではないけれども、その時そのことだけをお願いするのはやはりちょっと厚かましいような気持ちになるからです。
家族以外に入院時の保証人をお願いするには、もう一点大切なことがあります。
経済的な基盤がある事を示せることです。
大きな資産を持っている必要はありませんが、入院費が滞っはらない程度の見込みがなければなりません。
何かあれば丸抱えで、入院費まで見てやるという太っ腹で実際の財力も備えた親族がいる方は稀だと思います。
先日ウェブ上に生命保険会社から保証人の代行をすると言う広告を見つけました。
家を借りる場合にも保証代行と言う仕組みがあるのですから、社会的に一定の信用があれば、そんなところを使うことも1案です。
無事保証人が決まって入院できた。
その後に困ることは何でしょうか?
これは私が長年病院で働いてきて実感があるところでいえば、洗濯と小さな買い物だと思います。
親が入院しているときに子供として具体的にできたこともこの二つです。
施設入所の場合は洗濯は何らかの形で施設側がやるようなシステムができていると思いますので、心配は要らないかもしれません。
しかし一般の病院に入院された場合は洗濯は大きな課題です。
病棟の中にコインランドリーがあってそこまで自力で行ける方は、自分で選択を済ませることもできるのですが、ベッドを離れることができない方は洗濯ものはご家族の持ち帰りになります。
同居のご家族が来られない方はそんな時は誰にお願いするのが良いのだろうと考えてみて下さい。
下履きは使い捨てていくにしても下着まで洗ってもらえるような関係の方がいるかどうか。
季節の物の入れ替えや、ちょっとした買い物も結構難しいところがあります。
看護師に売店まで車椅子で連れて行ってもらう。
看護師に売店に電話して必要なものを届けてもらうと言った事はお願いして良いのですが、それだけでは間に合わないこともあります。
寒くなってきたので羽織るものが1枚欲しい、補聴器用のボタン電池が欲しいと言ったとき誰にお願いできるか。
少し現金が欲しいのだけれどもカードの暗証番号まで教えてお金をおろしてもらえる知人がいるかといったようなことも大切なことです。
買い物は小さなものでもスマホでネット上から注文することができる時代になってきたのでかなり不便さが緩和されてるように思います。
それでも、結構小さな事に不自由する物だと思います。
単身で年をとっていくに備える
昔から遠くの親戚より近く他人と言われていますこれは名言だと思います
ただ、昔のご近所は生活状況まで覗きあっていたようなところがあります。
今はお隣が何人家族であるのかわからないと言うような状況も決して珍しくはありません。
孤独死をしていても、新聞が溜まって気づかれるといった段階で発見されれば良い方で、異臭がして初めて気づかれたという話は珍しいことでは無いのです。
近くに住んでいるから、いざと言う時は何かしてもらえると言うわけでは無いですが、やはりちょっとしたことであっても手を貸してもらうことを期待するのでしたら、普段からそのような関係を築いておかなければなりません。
私は友達とは迷惑をかけない距離で付き合った方が良いように思っています。
一方の負担が大きくなると関係は破綻します。
お金の貸し借りはしなくても、一方的に愚痴を聴かされるといった事でも、距離を置きたくなったりするものではないでしょうか?
親しい友達だからといって入院生活でも洗濯物お願いすることが良いようにも思えません。
何かここには人間関係の新しい形が欲しいように思われます。
深い悩みを相談するのとは違うけれども家の中の状況までわかりながら手を貸しあえるような関係。
無償よりも多少の対価を払う方がよいような気がします。
少なくとも持ち出しにならない程度のお金のやり取りはあった方がよいように思います。
当然対価を払って良いことを無償で利用することをよしとしたくないという気持ちもあるのですが、援助する側とされる側に差があると長続きしないからです。
若いお母さん同士が子供が子供を預けあう。
半分以上は友情からやる事なのだけど、そのつど対価を払いあうという話を聞いた事があります。
これは片方だけが何かを提供している不公平だと言う感じを回避するためにはとても良いアイディアだと思います。
自分が預ける時間とあずかる時間が同じであれば、収入としてはゼロですが、そこに差があった時に、不平等を感じないですむ。
たとえ少額でもお金をもらうと、自分が提供するばかりだと言うことに不満を感じにくくなります。
例え知人でも、仕事としてやってもらうと思った方が、頼みやすい事もあるように思います。
下着の洗濯などは、最たるものではないでしょうか?
単身独居で歳をとっていくと言うのが今後ますます当たり前の時代になっていきます。
今の時点で家族がいてもそれは決して人ごとではありません。
人が持っている優しさや誠意をベースにおきながら、そこに寄りかかることなく長続きするように双方で支え会う。
そんな関係を手探りで探しながら、形にしていく。
まだ、夢のようなものですが、そんな所を模索してみたいと思います。
それができるならば、話し相手が欲しい、といった事は、自然に解消されていくように思うのです。
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