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良い人 だけど 苦手 良い人になろうとして 嫌われる理由

良い人 だけど 苦手 良い人になろうとして 嫌われる理由

看護師・心理カウンセラーの渡辺由紀子といいます。

いい人だけど好きになれない人がいる。

この気持ちは何なんだろう自分がおかしいのだろうか、いい人すぎることに嫉妬のような感情があるのだろうか?といったご質問を受けることがあります。

確かに嫉妬ような感情で人を嫌ってしまうと言うこともあるのですが、他にもいくつか良い人を嫌いになる要素があります。

良い人が意外に好かれない理由

人から嫌われやすいとされる要素はいろいろあります。

威圧的に人に接したり人の悪口を言ったりする人は一般的には好かれる事はありません。
それでも意外に威圧的でも仕事ができる人が、若いスタッフから憧れの人であったり、人の悪口を言う人が裏表のない人と結構人気があったりする事は珍しくありません。

そんな中でどんな人からもいい人と言われている人を好きなれないと感じる時には、いくつかの理由があるのです。
この事は知っておくと、とても楽になりまし、また自分が過剰にいい人であることに頑張る必要がないことを認識することもできますので、一読していただければと思います。

良い人は不都合な本音を見せない人

いい人だけど好きになれない人に対して、好きになれない理由のトップに上がってくるのは、おそらくこの、この人の本音がどこにあるのかわからないと言う感じではないでしょうか。

人と軋轢を起こしそうな事は最初から言わない。思いやりのある優しいことも言うのだけれども本心かどうかわからないといったような人です。

こんな人がお客様には評判が良いものです。
上司からもかわいがられます。

客と無関係では本音がどこにあるかはあまり重要視されません。自分が実際にどういう風に扱ってもらえるかといったことの方が大切になります。

こんな場合はたとえ裏で陰口を言われていても自分に接する時、丁寧に優しい口調でものを言ってもらうことや、丁寧な扱いを受けることができれば何の問題も無いのです。

対人援助の現場、看護や介護の世界や、心理を扱うような世界では、コミュニケーションの比重が大きくなりますので、その人のひととなりのようなものは滲み出てきます。

サービス業の接遇とはまた違うところで問われますが、それでもある意味本心としてどう感じているかよりも、相手に対してどうどのように振る舞うかが大切にされることに変わりはありません。

嫌な客や、横暴な上司にも丁寧に接する事ができるのは、良い人とみなされ大事にされます。そんな所では、できる範囲で良い人をするのが良いと思います。

本音のやり取りが好まれる場面も多い

仕事がらみでも顧客との関係ではなく、同僚同士の場合にはもっと生々しい感情が行き来するものです。プライベートではなおの事です。そんなところで歓迎されるコミニケーションはお客様とのコミニケーションとはまた異なってきます。

本音のやりとりといった側面がないと、そのような場でのやりとりはつまらないものになってしまいます。
退社後の飲み会で上司の悪口で盛り上がってるような時に、上司も大変なんだよ、といったことを言いたがる人が管理職からは可愛がられるかもしれませんが、同僚からは敬遠されがちになります。

建前でコミニケーションをした方が良い世界と、本音のやりとりをした方が良い世界を区別できないと、言っていることはもっともなんだけどなんだか好きになれない人、といった評価をうけがちになるのはごくまっとうなことです。

公的な場面で私的な感情を出す人は、大人げないと言われますが、みんなが本音のやりとりをしたがっている場面であたりさわりのない事しか言わない人もあまり好感はもたれません。

人の悪口ばっかり言う人は良いとは思えませんが、ときには人の悪口も言えた方が人に好かれると言うのはこんな側面があるからです。

逆に近すぎて関係がうまくいかないときには、お客様に接するような建前のやりとりを取り入れてみることでうまくいく面があるのです。

どちらにしても意識して使い分けていくと言うところが大切になります。

一生懸命やっているのだけれども、なんだか好かれていないような気がするといった方は、ときには生々しい本音を口にしてみると言うことでそんな関係性を打開することができるかもしれません。

積極的に人の批判や悪口を言えと言うのでは、ありません。
自分にも好きになれない人の悪口を人が言っているのを聞いたときに下手に悪口を言われている人の肩を持つような言葉を言わないといったくらいで良いと思います。
その人にも良い所がある、といった事はみんなわかっているけど、悪口を言いたい時もあります。そこで抜け駆けして良い人をしない方が好かれます。

人の悪口が嫌なのは、自分の中にある黒い部分を見せられるようで抵抗があるといった面も大きいものです。
複雑な敵意や嫌悪感を持っておられる方の方が人の悪口に対しては過敏になりがちです。
あまり早い時点からあの人悪い人ではない、と言うところで納得しようとしないで、相手に対する自分のネガティブな感情もしっかりと認識してみると最後には苦笑いできたりします。

いい人を止めることができない人は、いい人やったからといって完全に好かれる事は無い。むしろそれを理由に嫌がられることもあるのだと言うことを時々意識にあげてみるのも良いと思います。そうすると常に良い人でやろうとがんばりすぎないで済みます。

本音と建て前は使い分けが大切

本音のコミニケーションと、当たり障りのない感じの良いコミニケーションのどちらを優先すべきかは、本当は時と場合によって変わってくるのですが、その使い分けが苦手な方は決して珍しくありません。

公的な丁寧な対応が必要なところで本音で関わることを期待してしまうとクレームがこじれたりすることもあります。
ただ意向に添えずに申し訳なかったと言っておけば良いところで、こんな風に自分が自分なりに誠意を尽くした、などと言う事は言い訳にしか聞こえません。

逆に恋人が上司の愚痴を言ったときに、そんなふうに受け止めてしまっては職場で認められない出世に差し障るといったコメントは嫌がられます。愚痴は愚痴として受け止めてもらいたいものではないでしょうか。

言ってることが正しいとか正しくないとか言った事はコミニケーションとして上手か下手か気持ちの良いものになるのかならないのかといった事は別のことを考えたほうがよさそうです。

嫌われても仕方がないと思って人が嫌がることを発言することがあると思います。
しかしいい人であること、人に好かれることを意図して振る舞いながら人に好きになれないと思われることは悲しいことだと思います。

だからいい人をやめましょうといった言い方が受け入れられるのだろうと思います。

これは、言わんとすることはわかるのですが、私はこの言い方はかなり乱暴に聞こえます。

良い人である方が楽な場面も沢山あるからです。
まわりの受けが良いようにふるまう事は、相手がどんな受け止め方をしても平然としているようになる事より、おおむね簡単です。

いい人であること、建前のコミュニケーションを優先しなければならない場所と本音のコミニケーションを優先すべき場所を使い分けていきましょうといった言い方の方が現実的なような気がします。

社会人になるとなかなか難しいのですが、学生時代などには、けんかをしてみて初めて深いところでつながったといった経験をされた方もおられると思います。

仕事上での付き合い、特にお客様に対してそれをやたらに流用することが良いとは思いません。もしかしたら同じように本音のところで繋がれる経験をすることができるのかもしれませんがリスクも大きいからです。

コミュニケーションは場によって正解は異なってくるものです。
その場、その場でどんな振る舞いが適切か、使いわけていく事が正解だと思います。

何故か嫌われる 知らずに嫌われる 嫌われる理由がわからない

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