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年をとるのが怖い 衰えていく先にあるのは何か

年をとるのが怖い 衰えていく先にあるのは何か

看護師 心理カウンセラーの渡辺由紀子と言います。

人は50代になると
人生の残り時間を考え始めると
聞いた事があります。

50代になると
いやでも、おそらくは
自分の残されたこの世での時間が
今まで生きていた時間より
短い事を意識しないわけにはいきません。

何をやってきたのだろう。

残りの時間をどう生きていけば
人生は成功だったと言えるのだろう。
常時、頭を離れないというわけではなくても
時々
ふっとそんな思いが沸いてきて
しばらく考え込んでしまうというのは
自然な事だと思います。

良くも悪くも
感受性の強い方は
若い時から死を意識しがちですが、
一定程度の心の健康をもった者には
死は思考の中にあって
リアルな現実とは一線があります。

年を重ね
親を送ったころから
次は嫌おうなく自分の番がくるのだと
認識するようになってきます。

人には
都合の悪い事は
蓋をしたり、切り離したりする力があります。
これは決して悪い事ではありません。

やがて死を迎える自分ばかり
意識していては
現実におこっている好ましい事も
認識できなくなります。

老いていく事、
体が衰えていく事、
知的な能力が落ちていく事を
意識に上げて嘆いている時間があれば
まだできる事はありそうです。

無限だと思っていた人生に限りがあると
わかったからこその
人生の使い方。

衰えていく事を
肌でわかっているからこその
味わい。

順調にこれた方は
社会的な社会的な
責任から解放された安堵感を
感じておられる方もおられる事でしょう。

やがては、日常の暮らしにも
人の手を必要とするように
なるかもしれない。

それでも
・・だからこそ。
今、本当にやりたい事をやっておきたい。

そんな時に、
やりたい事がみえている方は
幸せだと思います。

これはやりたい事ができる
とは、だいぶ違うような気がします。

定年になったら
退職金の何分の一かを使って
世界一周をするのだ、といった
目標をもって勤め上げて
実行に移した人は何人も知っています。

これはこれで
素敵な事だと思います。

ただ、暮らしはそれからも続いていきます。
楽しい旅行と
その思い出だけで過ごすには
後の時間は長すぎます。

お弁当を作って
子供を会社に送り出したり、
孫の保育園の送り迎えをしたり。

家事が好きな方や
お子さんが好きな方は
求めてくれるお子さんがいれが
それが充分生きがいになる事もあります。

習い事を長くやってきたので
教える立場になった。

逆に、
しょせん50の手習いだと割り切って
楽しむ事だけ考えている
というのも
上手な年の取り方かもしれません。

一般的には
あまり欲張らない方が良いとは言われています。

退職金をはたいて会社を興したり
大学院に行って学者になる事を夢見たりといった事です。

自宅サロンをひらいたり、
通信の修士課程で好きな勉強をしたりが
無難なのではないかというのは
正論だと思います。

ただ、これも程度問題。

事業がうまくいかなくても
食べる位は何とかなりそう、とか
自分の能力と求められている事の
ギャップの辛さを抱えても探求したい事があるのなら
やりたい事をとことんやろうとするのも
悪い事ではないと思います。

ただ、若い時と違うのは
人生何度でもやり直しがきく
というのは
通用しなくなってきています。

失敗しても
やりたい事をやった
というだけで満足できるのか
小さくても
何かを実際にやりとげたいのかは
充分に吟味された方が良いと思います。

一方で大切な事は
ほどほどにあきらめる
という事かもしれません。

あきらめない介護
といったスローガンもあり、
老いていく事に抗する事は
たのもしく立派な事とされがちです。

実際、
この気持が全くないのも
困るかもしれません。

年なのだから仕方がないと
身の回りの事もやりたがらない。
家事はまだしも
着替えや入浴なども億劫がるという話は
決して珍しい事ではありません。

年をとって容姿が衰えるのだから、
年をとるほどに
身ぎれいにしなさいと
母が言っていた事を思いだします。

大切な姿勢だと心にとめています。

それでも、
老いる事に抗う事には
限界があります。

杖を使えば安定して歩ける方が
みっともないと杖を持ちたがらない。
結果、転倒して骨折。
寝たきりになる。

パットをした履きの下に入れる事を嫌がるので、
いつもズボンを濡らしてしまう。
配偶者にみっともないと叱責されたり、
通所施設で一緒に食事をするのを嫌がられたり。

頑張っているようであって、
決して良い結果は招いていないのです。

この頑張りは
ご本人の頑張りである事もありますし、
ご家族が
ご本人に要求している事もあります。

年をとっても
気の持ちようで
しっかりできる部分もあります。

どんなに頑張っても
年には勝てないというのも本当です。

何ができて何ができないか。
どこを頑張って
どこをあきらめるか
専門職として訓練を受けた人に
訊いてみるのも良いでしょう。

しかし、最後は自分の体に聞きながら
自分で決めていくしかありません。

認知症と診断されるされないは別にしても
年がいくほどに新しい決断は難しくなります。

50代に入ってばかりでは
まだピンとこない事が多いと思いますが、
還暦を迎えるころから
自分の年の取り方には
意識を向けておくのが良いように思います。

思い描いても
その通りにいくわけではありませんが、
それでも
何度も思い返しているうちに
こなれてくる部分もあると思います。

ざっくり言ってしまえば
上手、周囲に甘えるか、
どう思われるかは置いて
自分の生き方を通していくか
といった所かもしれません。

かわいいは
現場では高齢者への最高のほめ言葉ではあるのですが、
かわいいと言われるのは
抵抗がある方も
それはそれで良いではないでしょうか。

学歴、職歴自慢も
年をとるほどに、
そんな事にしか執着できないのか、と
みられがちになります。

心やコミニュケーションを
専門的に学ぶ事も
決して悪い事ではありませんが
ともすると
選民意識に取りつかれて
まわりからは敬遠されている事もあります。

若い時は
年を重ねる程に
酸いも甘いも噛分けた
練れた人間になっていくものかと
思っていました。

しかし、
実際は柔軟性を失っていく
耐える力をうしなっていく
そんな側面の方が大きいと思います。

それでも
というか・・だからこそ

良い年の重ね方をしっかり模索して
次の世代に見せていく事は
意味のある事だと思うのです。

責任から解放されて
やりたい事をしっかり模索する
前期高齢者の時期。

その先の
人の手を借りながらの生活になった時も
好むと好まざるとにかかわらず
人は自分が生きてきたように年を重ねていきます。

想定しきれない事もあるかもしれません。
こんな人ではなかったと言われる事もあります。

それでも
大部分は、その人が選んで生きてきたように
その先も生きていくのです。

その事は今の時点から頭に置いて
年を重ねていきたいものだと思っています。

老いる事は
衰える事であり
死は終結なのでしょうが、
それはやはり
一つの完結のようにも思います。

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