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あきらめが肝心 と言われるが あきらめられない 諦めたら 後悔しそうな時 どこで割り切るか

あきらめが肝心 と言われるが あきらめられない 諦めたら 後悔しそうな時 どこで割り切るか

看護師・心理カウンセラーの渡辺由紀子と言います。

あきらめられない事ってありますね。

失恋など、関係性にまつわる事。
親の老い、自分の加齢など不可抗力な事。
進学や昇格など、結果がまわりから評価される事。

人生順調にいけば良いのですが、滞る事、先が見えてしまう事はおこってきます。

そんな時、当事者にとってはとても受け入れられない事を
人は簡単にあきらめた方が良いといったりします。
心理の専門家でもそんな言い方をする事もあります。

確かにあきらめられれば楽になるかもしれないけれど、
あきられられないから悩むのに。

こんな時にどんな風に気持ちを整理していけば良いのか、
そもそもあきらめる方向で考える方が良いのか。

そんな事を考えてみたいと思います。

あきらめが肝心な時

あきらめないと先に進めない時

諦めが肝心

言いえているようにも思えるし、冷たい言葉のような気もします。
あきらめが肝心と言われるのにも一理あるような気もします。

あきらめが肝心という言葉にうなずけるのは、
今の状況に囚われていたら先に進めない時です。

失恋のショックで引きこもってしまう。

ある期間はしかたない事だと思います。
大切な人をなくした時と同じで、喪の期間は必要です。
一定、悲しみ尽くさないと立ち直れるものではありません。

それでも、何ヶ月、何年も吹っ切れないとしたら、
意識的に吹っ切る努力も必要になってきます。

いきなり婚活を始めた方が良いというわけではありません。
同性でも異性でも、新しい知人ができる可能性がある所に行ってみる、
といった所からです。

もっといい人に出会えるかもしれないと言われると、
シラっとした感じになるかもしれませんが、
それは気休めとも言い切れないと思います。

受験の失敗も同じなのではないでしょうか。

何年がかりで目指してきた学校に入れなかった。
そこにばかり目が行ってしまうと、受け入れてくれた学校の足りない所ばかりが目に入ります。

そこで学べるはずの事が学べない。
同級生と良い関係になれるはずもありません。

手に入らなかった物は、手に入らないとあきらめる事で、手に入れられる物もあるものです。

不可抗力な時

大切な人をなくした時にも、どこかであきらめなければなりません。

ただ、急がない事です。

長い経過で看取ったような時の方が、やりきった感で立ち直りが早かったりします。

あっと言う間に逝ってしまった、とか、逆援などは辛いものです。
誰も受け入れる事を強いる事はできません。

あきらめきれないで苦しんでいるのが自分の大切な方なら、
あきらめきれるまで同行してあげる事です。

ただ、こんな時、 最初は同じように嘆いていても、
自分が立ち直ると相手があきらめられないでいる事を
もどかしく思う事もありますから注意は必要です。

もうそろそろあきらめても良いのではないか、
と後々言いそうになるのなら、
最初から、距離を置いて見守った方が良いと思います。

老いる事もある意味、不可抗力な事です。

アンチエージングを否定するものではありませんし、
リハビリをするかしないかで機能の回復は違ってきます。

ただ、長い経過の中ではやはり人は衰えてきます。

どこかの介護事業所のスローガンで、あきらめない介護、
というのを見た事があります。
半分共感しながら、半分は違和感を感じていました。

家族が諦めきれないばかりに、
過酷なリハビリを強いられている高齢者をたくさん知っているからです。

諦める諦めないを見極めるには、何が可能なのか、
無理なく行き着けるかを探していく事が必要です。

ただ、機能的に回復の可能性が低くても、
そこに向かって努力していく事が、生きる意欲になっている方もいらっしゃいます。
ご家族にしてもそうです。

やりきってやりきって諦めにたどりつける。

援助者としては、その思いを見守っていく繊細さ、
結果が出ない事に取り組んでいる人を許容する懐の深さが必要になってきます。

このあたりは、仕事としてかかわる場合でも、友人でも、家族でも同じだと思います。

あきらめなくて良い時 あきらめない方が良い時

当事者の望みである時

丁寧に言うなら、本人の望んでいる事で、
本人の行動で結果を得られる可能性がある時。

これはあたり前のようでいて、レアなケースかもしれません。

本人の望みのようでいて、周囲の期待のような事はよくあります。
期待に応えたい、はまだ本人の望みですが、
応えなくてはならない、になっている事も多いものです。

ご本人が望む結果を出せないで、
諦めきれないで苦しんでいるように見える時は、
せめて周囲は期待を置いて静観してあげたいものだと思います。

志望校のランクを下げるとか、
演奏家になって欲しかったのに、レッスンプロで充分
と言いだすといったような事は当然おこってきます。

それでも、本人が望んでいない事にむかって
努力を強いるのは酷な事かもしれません。

プロセスを楽しめる時

当事者の望みである事を重なるように思うのですが、
結果だけを考えると、どうも可能性は低そうだと思われる時も、
そのプロセスを楽しめるのならあきらめる事はないように思います。

サッカー少年がW杯を夢見て練習に励む時に、
実際W杯に出るなんて無理だからあきらめなさい、
という親はいないと思います。

心を学ぶ事が楽しい人に、
カウンセラーで生活を立てていくのは無理だからやめなさい、
という事もないと思います。

困難な事に取り組むんでいて、
周囲には痛々しいように映っても、
本人がそれも含んで喜びだというのなら、
周囲がとやかく言う事ではないと思います。

ただ、そこに付随する暮らしの困難さを、
親であれ、パートナーであれ当然のように担ってもらえると思っているなら、
それは別の問題だ、という事は言って良いと思います。

あきらめても幸せになれる・・が・・

あきらめなければすべてはかなう。

若い方に向けた励ましの言葉としてはありだと思います。
もう一息の所で弱気になっているような時には、響くかもしれません。

それが幻想だと、あえて言う必要はないと思います。

自分が一度望んだ事や、目標にした事をあきらめてしまっては、幸せになれない。
ずっと後悔を引きずっていきそうだという方もいらっしゃるようです。

若い方の思いとしては最ものように思います。

最初の書いたように、あきらめる事で次に行けるというのは大切な視点です。

分かれた彼をあきらめられた時、新しい恋がはじまる。
身の丈に合わない学校をあきらめた時に、確実に社会に出やっていく為の学びができるようになる。

演奏家にならなくても音楽を楽しむ事はできる。
オリンピックに出られなくても、後進を育てる喜びもある。

それは本当の事なのですが・・

ただ・・・

特に若い方は、あきらめない方向で一定、あがいてみるのも悪くないような気もするのです。

寝食を忘れて勉強するもの、彼の好む女性になってみるのも、何でも良いです。

やり切ると、限界も見えてきます。
死ぬほど頑張ってこんなものか・・と思うのは切ない所もあるのですが、
頭で考えていたこんなものかな?を体で感じた時に、
このレベルは確実にできる、になります。

最初の目標に照らしてみたら、大した事はないかもしれないけれど、大切な自分。

受け入れるとか、受容するとかは、ここを飛ばしてしまっては薄っぺらい物になるかもしれません。
それこそ、受け入れているようであって、どこかで後悔を抱えていくような人生になりかねません。

あきらめが肝心、は一つの大切な視点ですが、

そこに至る為には、あきらめきれない思いを大切にして、
亡くした物を嘆いたり、
手に入れたい物の為に我武者羅にに頑張ってみるというプロセスを省かない。

あなたのあきらめたくない物をはなんでしょうか?
どうぞ、それを大切にしてください。

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