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人を嫌いになる理由 嫌いな人は自分に似ているというのは本当か

人を嫌いになる理由 嫌いな人は自分に似ているというのは本当か

看護師・心理カウンセラーの渡辺由紀子といいます。
人を嫌いになる理由はなんなのでしょうか?

誰の事も、ほどほど好きであれば生きるのが楽になると思うのに、大概の方には嫌いな人がいるものです。

嫌いな人は自分に似てるというのは本当か

このことを指して自分に似てる人を嫌いになるのだと言っている人もいます。
心理の専門家でもそんな言い方をする人もいます。
これは1部分が当たっているところもあるのですが、かなり乱暴なものの言い方だと思います。

嫌いな人が自分に似てるなんて誰も思いたくはありません。
嫌いな人が自分に似てるのだと説明している人は自分自身の嫌いなところを相手に見ていることを自覚しているの でしょう。
それは当たっているのでしょうし、自覚できるだめ自己洞察が深い方なのかもしれませんが、果たしてそれを一般化して良いのかどうかは疑問が残ります。

ただ、自分の嫌な面を相手の中に見たときにその人を嫌いになると言う言い方でしたら 一定信憑性はあるように思います。
しかし、逆は必ずしも真ならずと言う言葉を思い出 していただきたいと思います。自分の嫌な面をみるとその相手を嫌いになるからといって、嫌いな人は自分に似てると言い切ってしまう事はできな いと思います。

しかし一方で、、自分の嫌いな面というのは意外に自覚していないことがあります。
自分が自覚 していない自分自身の嫌いな面を相手に見てしまうと言う事はあり得ることだと 思います。

人を嫌う気持はあこがれの裏返しの事もある

人を嫌いになるのは、自分の嫌な面をその人の中に見たときだけだとは限らないように思 います。
むしろ、なりたいけれど、手が届かないそんな自分を相手の中に見たときに、その人に対 する嫌悪感が生まれると言う事はよくあることのように思います。

決して一般的に悪いとはされないけれども若干癖があるような人に対して強い嫌悪感を 感じるような場合は、そんな視点からご自身のことを見直して見られるのも良いのかもし れません。

例えば自己主張が強い人です。

自己主張できると言う事は必ずしも悪いことではありません。
時としては敵を作ったりする場合もあります。
それでもそんなことを踏まえなが らも自分の意見を主張できる人は魅力的です。しかし、自己主張が強いと言う理由でその人を嫌う人もいるものです。
そんな人は、自分が自分の意見を主張したいと言う思いを抱きながら、いまひとつそれができていないといったことが多いようです。
羨望というか、嫉妬に近 いような感覚がその人のことを嫌いだと思わせてしまうのかもしれません。

世渡りの上手な人、愛想笑いをして誰にでも可愛がられるような人も、場合によっては嫌 われる対象になります。

こんな場合も上手に振る舞っていることに対する嫉妬心が。強く作用していることも考えられます。

誰にでも好かれるのは不可能だと言われるのは、どんなに良い人になったところで、こんな 心理が働くので嫌う人は必ず出てくるからです。

人を嫌う自分を許せると楽になる

逆に言えばそのことを知っていれば、誰にでも好かれる自分にならなければならないとか 、どんな人も好きにならなければならない、といった気持ちは緩むのではないでしょうか 。
人付き合いの中には必ず好き嫌いの要素は入ってきます。
自分に嫌いな人がいる事は当 たり前のことであって、特段、恥たり修正をかけたりしなければならないと考える必要は ありません。

むしろ人に嫌悪感を感じた時は、そんな自分になりたがっている自分もいる のかもしれないと考えて、それが社会的に承認される範囲なのでしたら、少し真似をしてみ るのも良いのかもしれません。

自己主張が強かったり、愛想笑いが上手だったりする自 分をイメージすることができなくても、嫌悪感とも嫉妬ともつかないような気持ちをもしかしたら自分がなりたい自分、頑張ればなれそうな自分を体現しているのかもしれないと思って 少し真似をしてみる。
そんなことが自分の幅を広げてくれるのかもしれません。
真似をしようと思う前には抵抗や嫌悪感の方が強かったような状態も、少し意識して真似てみ ると意外に簡単にクリアできたりします。

なりたくない自分をあえて真似る必要はありません。
そんな自分はたとえ本音であって も社会に適応するためには隠しておいた方が良い自分かもしれません。
防衛とかペルソ ナとか心理療法の中ではあまり良いものではないような言われ方をしますが、世 の中を上手に渡っていくためには不可欠のものです。
むき出しの自分本音の自分だけで 誰とでもうまくやっていけると考える方が子供じみた考えかもしれないのです。

ただ嫌悪感を感じている、嫌いだと思う相手の中になりたくてなれない自分を見ていると言う可能性は考えてみても良いのだろうと思います。
人の気持ちは複雑なもので、好きな人好きだと認識できるとは限りません。イソップの童話の中で狐が手の届かないぶど うすっぱいぶどうだと言たように、なりたいけれどもなれないと思っている自分に似た人に対して、どうせあんな人になっても、とういった気持ちが働く事は充分に考 えられることなのです。

そんな自分も下手に嫌がらずに、ちょっとかわいいと思えると、良いように思います。

自分の中の人を嫌う気持ちを嫌わない。
まぁそんな気持ちもあるよねと認めてあげると、人 を嫌う気持ちはずいぶん緩和していくものです。

そうすると不思議なことに、嫌悪感で 身震いしそうだった人が「あまり好きでない人」といったところに落ち着いてくることが多 いように思います。
そうすると相手にもそのことが伝わって相手も自分のことをひどく 嫌うといったことがなくなっていくものです。


その結果、親密で良い関係になれるかどうかは何とも言えません。
逆に親密にならなけ ればならないと言う気持ちが減っていきます。
そのほうが相手とは楽に付き合うことが できるようになっていくことが多いようです。

人と人との関係は必ずしも近くて親密な方が良いとは限りません。
相手を嫌ってしまっ て辛いとか、それが相手の人に伝わって相手からも嫌われてしまうといったことがない のなら充分なのではないでしょうか。

誰とでもうまくやっていけると言う事はどんな人でも好きになって親密にならなければ ならないと言うことを指しているわけではありません。

本音を言えばそれほど好きでは 無いと言う相手と、まぁこんな関係もあっても良いのではないか、好きとは言えない けれども強い嫌悪感を感じる事は無いと思える事。
日常的に仕事上に必要な情報交換ができたり、ほどほど気持ちの良い挨拶をかわせるといった関係を誰とでも持てるとしたら、それは 十分に卓越したコミニケーションスキルであり、豊かな人間関係だと言えるように思い ます。

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