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運命 布置 持って生まれた物があるなら 努力は無駄なのか

運命 布置 持って生まれた物があるなら 努力は無駄なのか

看護師・心理カウンセラーの渡辺由紀子と言います。

心理療法を学びながら、人には、自分で自覚すれば、コントロールできる物が沢山ある事を学んできました。
その一方で、どうにもならない事、ある意味、運命づけられたものがあるという考え方がある事も知りました。

コンステレーション、布置。星座のように最初から配置された物があるという考え方です。
ユング心理学は、系統立てて学んだわけではないので、論理的な説明はできませんが、看護と心理臨床の経験から、この動かせない物とどう付き合うかについて、お話ししてみたいと思います。

人には抗えない物がある

虐待され、親に殺された子供が、保護できなかった事で児童相談所がやり玉にあがる事があります。命を奪われないというレベルでは、できた事もあるかもしれません。

しかし、そんな家に生まれた子供の心まで満たして、育て上げる事はどんな人にも組織にもできない事だと思います。

看護場面。特に訪問看護では、いろいろな家庭をみてきました。両親の自死の場面に遭遇してしまった子供、一家全員が統合失調症など。
そんな家庭の中で、育っていく子供もいるのです。

両親が離婚した、とか、父親がリストラにあって、進学がかなわなかった、といった事はそんな話に比べると、日常的な話に聞こえるかもしれませんが、当人にとっては人生が揺らぐような大変な事です。

知人であっても、福祉や心理の専門職であっても、その子の人生を背負う事はできません。家庭の外からできる事は、あなたには味方も居るのだと、伝え続ける事だけかもしれません。味方であっても、担える事はいくらもありません。
下手に背負えない部分に手を出す事は、よけい傷つける事にもつながります。

置かれた場所で、生き抜いていくのは、本人の力にゆだねるしかありません。

抗えないものには抗わないのも知恵

他人が人の人生に手を出せないだけではなく、本人にも抗えない物が、あります。

遺伝性の病気の遺伝子を持って生まれた、子供を産めば確実に遺伝して、自分より先に逝ってしまう可能性が大きい、といった人の悩みは部外者には想像を超えます。
子供を作らない、生まないのも一つの選択、一時の命でも与えて子供のいる時をすごしたいとするのも選択。他人がとやかく言える事ではありません。

能力の限界のような物も、一つの運命のような気がします。

学者になるつもりでいたのに、自分の自頭はこんな物かと思ったり、ピアニストになるつもりで音大に入った所で演奏家の実力はなかった事を思い知る。

努力で補えると思える範囲でしたら、できるだけの努力をしてみるもの良いと思いますが、持って生まれた物の限界を思い知ったら、それを受け入れて撤収するのも知恵だと思います。

撤収する事もできる事だと考えると、幅が広がるのです。

危ない方に流れそうな時 外堀は丁寧に埋めていく

アルコールやギャンブルなどへの、依存も遺伝的な気質があると言われています。これも、持って生まれた運命のようなものかもしれません。

パートナーや子供に、そんな気配がある時、できる事は、依存をサポートしないといった事くらいしかないかもしれません。

あれこれ抑えにかかっても、押し流す力の方が大きいという事はしばしばあるようです。それでも、協力しない(後始末を引き受けない)という事が、できる事であれば、それが外堀を埋める事になるのです。

愛情をもって見守りながら、相手がやりたい事に協力しないのは、難しい事です。
その事自体、当事者(多くは家族)に対する、サポートが必要な事です。そんなお手伝いもしていけたらと思っています。

現状を受け入れ上手に波に乗る

堅実である事がすべてではないでしょうが、現状を受け入れる事でスタートを切れる事もあるのです。

多くの苦悩が、あきらめる事ができない事に端を発しているように思います。
一旦あきらめる事で、手に入るものも沢山あるように思います。

ピアニストを目指した人に、レッスンプロになるのはプライドが許さないかもしれません。
それでも、演奏家になる力量がないと思ったら、そんな方向に道を求める柔軟性があった方が良いでしょう。努力するなら、教える力をつける事にシフトする事も大切でしょう。
演奏する力は、そこらのレッスンプロより格段に上だという意識に捕らわれていると、足元をすくわれます。

組織の中で、自分を生かしたい、といった事も、よほど特殊な能力がなければ、いきなりは難しいと思います。でも、起業してやっていくような力量があるとも思えない。
自分の人生は、こんな物かと思うと、つくづくつまらない。

こんな時もあきらめきれていないのです。
一旦、あきらめて、その組織のお作法にのとって仕事を覚え、会社で重宝がられる人材になる事を考える。
それができると、そこから開ける物があるのです。

私も、心の苦悩に対応しようとしない医療現場に、長い間、不満や怒りを感じてきました。それでも、それは聴いてもらえない。
それは、もっと手前で、確実にまわりに負担をかけないように仕事をこなしていくような所で欠けていたからだとわかってきたのは、10年以上たってからです。

人の心に深くかかわりたい、と思う気質も生まれもったもの。
それを、直で生かせる仕事につけなかった事も、一つの運命だと思います。

ここまで来ると、仕事などは、選択の余地があった事もわかるのですが、当時はそれを選ばないわけにはいかなかった事は、やはり運命という言葉があたっているのではないでしょうか。

当時から、心理療法の世界を知っていれば、急性期が花形の一般の総合病院の看護師の意識引きずられずに、精神科看護など心理療法に繋がる所で積み重ねができた事でしょう。

変えられない物は、あるにしても、それを抱えながら、人生を上手に乗り切っていく方法はあります。
試行錯誤、何度も海に投げ出されるような思いをしてきたからこそ、上手に波に乗るお手伝い、華麗ではなく安全に楽しんで人生をわたっていくお手伝いができると思っています。

 

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