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気を使われるとイライラする 配慮される 手を借りるのが嫌い

気を使われるとイライラする 配慮される 手を借りるのが嫌い

看護師・心理カウンセラーの渡辺由紀子と言います。

人に気を使って、手を貸される事に抵抗がある、という方は結構おられます。

人に気を使われた時には、
ありがたいと思わないわけでもないのだけど、何だか嫌
人の好意を受け止められない自分が嫌
みたいな気持ちになってしまう。
そんな気持ちの、一つ奥にある物を考えてみたいと思います。

気をつかわれるのが嫌な理由

気を使う相手が上に見える

気を使っているという事は、相手が自分は配慮してやる側だという事を誇示したくてやっているように感じるといった場合です。

電車で席を譲られた時から、仕事で手を貸そうかと言われた時まで、そんな気持ちになる機会は、日常でもたくさんあります。

これは、当たっている場合もありますが、自分の普段は意識していない負い目が刺激されて、不快に感じるという事もあるのです。
体力が落ちてきたけど、シルバーシートには座らない、まだそんな年ではない、と思っている時に、席を譲られたらムッとする事でしょう。仕事の効率でも同じことです。

相手の気持ちはわかりません。
ちょっと上から見ているといった面もなくはないと思います。しかし、良かれと思っている事に間違いはないでしょう。

それでも、不快なものは不快だから、手を借りないというのも一つの選択です。
食ってかかるような言い方をすると、みっともないですが、やんわりと、大丈夫です、と言えば良いだけです。

私くらいの年齢になると、そんな気持ちになる場面を経験していない人はいないような気がします。

私も、人の手を借りるのは、あまり好きな方ではありません。
ただ、この頃の私は、いい人をやりたい人のいい人願望を満たしてあげるのも良いような気になってきました。
相手に気を使った時に、喜んでもらえるのは嬉しいものです。
こちらだって、配慮したんだ、ありがたく思え、といった感覚を感じると面白くないにしても、助かった事に違いはありません。

ありがとう、助かりました、と言えばwin-winではないでしょうか?

自分に余裕があるなら、相手の事を気を使える素晴らしい人、みたいにちょっと盛って言ってあげても良いかもしれません。

自分に余裕がない、本当に助けが必要な時ほど、人の手を借りる事に抵抗が出がちな事は、知っておいた方が良いと思います。

相手に負担をかけるのが辛い

ちょっと手を貸そうか、と言われても、相手に負担を掛けているような気持ちになって、辛くなるので、手を借りたくない、といった方もらっしゃいます。

しかし、普通の人間関係の中では、人は自分に過剰な負担がかかるような気づかいはしないものです。
助けてあげたい、気持ち良くやりたい、という気持ちは相手を思いやる余裕があるから出てくるものです。

理屈ではそんなものだろうと思うけれど、自分の方が、相手に大きな負担をかけているような気持ちになってしまう。

そんな方は、大概、自分が負担を感じる程の気づかいをしないと、居場所がなったという経験をお持ちです。
親が不仲だとか、体や心が弱くて親らしい事をしてもらえなかったといった方が多いようです。

アダルトチルドレンとは、もともとはアルコール依存症の親を持つ子どもが、子どもでありながら、親の役割を果たしてきた事に始まる言葉なのですが、今は、広く、親の役割を取れなかった親の元で親を気づかいながらそだった子ども全般に当てはめて使われているようです。
大人になっても、周囲の人を過剰に気遣わずにはいられないので、良い人はやれるのだけど、とても生き辛いといった方々です。
心理の学術用語ではない、とこの言葉を安易に使う事を嫌うセラピストもいますが、わかりやすい概念で、これに当てはまる人はセッションにこられる事も多いものです。

気づかってもらう事をありがたく思う気持ちはあるけれど、気づかわせてしまって事への申し訳なさの方が上回って、落ち着かない、辛い気持ちになる方は、このアダルトチルドレンと言われる方に多いように思います。

こんな方は、自分も甘える事があって良いんだよ、といった言葉を自分にかけてあげる事が、役に立つと思います。

実際、特に相手から手を貸したいと言われるような時は、相手は手を貸したがっているのです。
自分の親は、手をかりたがったり、気づかいを求めていたかもしれませんが、相手が手を貸したがっているのですから、受け取るのが相手の気持ちにそった行動です。

そんな視点から自分を見て、それに応じるのも、自分の枠を広げる事になります。

マイペースで事を進めたい

さっさとやりたい人でも、ゆっくりやりたい人でも、人に手を出されると、自分のペースが乱れるから嫌だという方もいらっしゃいます。

そんな方は、周囲の状況に目を向けてみるのが良いと思います。
さっさと仕上げなけれが、職場の仕事が滞るような時は、自分の都合を言っていられません。せっつかれているようで面白くなくても手を借りて仕上げてしまう。

自分が大変そうに見えても、全体の流れのなかで、自分のペースで仕上げていけば良い事もあります。
趣味の手芸教室のような所で、大きな作品を作っている時なら、手を借りると自分のものでなくなってしまうような気持ちになるのも当然でしょう。そんな時は
私のペースでやらせて、と言っても良いと思います。

時には手を貸す側にまわってみる

自分が手を借りるのが好きではない方は、人に手を貸す事にも抵抗が出ると思います。
大変そうだと思っても、下手に手を貸そうか、と言っても突っぱねられるのではないか、といった気持ちが働いたりします。

そんな方は、相手の事を考えて手を貸さない事を選んでいるのです。自分が何かを負担するのが嫌で、手を貸さないわけではありません。

それでも、案外、人の手を借りたいと思っている人も多いものです。

こんな時に、汎用性のある言葉は、
「何か、私にお手伝いできる事はありませんか?」
といった言い方だと思います。

お手伝いしたい気持ちは、伝えながら、結論は相手にゆだねる。

「自分でやれるからいいよ」と言われれば、引けば良いのです。

こんな時に、気をつけなければならないのは、
具体的に頼まれた事が、外回りのつまらない事でも、相手が希望する事を手伝う事です。
お手伝いなのですから、自分の達成感のような物は、脇に置かなければなりません。
それでも、そんな言葉を自然に言えるようになって、誰にでもできるけれどもちょっと手が回りにくいような仕事を引き受けると、周囲からは本当に大切にされるようになります。

こんな事をお話しすると、人の気持ちを受け取るとか、人に配慮するとかいった事は、結構難しい事だと思う方も多いのではないでしょうか?

それでも、日常の関係の中で、配慮された事を受け取るかどうか、配慮を示すかどうか、から、丁寧に考えてみる事は、重すぎず、心地の良い関係を築く為に大切な事だと思います。

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